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第23旅 被災地へ(後編)~石巻~①

皆さん、こんにちは。
前回の宮古・三陸鉄道に引き続き、今回は石巻へ行ったことを書こうと思います。

あの時からもう、5ヶ月以上過ぎてしまいました。
当時と今とでは、状況も、感じていることにもズレがあるかもしれません。

でも出来る限り、その当時見たこと、思ったことを正直に書いたつもりです。
本当に本当に長く時間がかかってしまいましたが、ぜひ皆さんにも読んでいただけたらと思います。

そして、ほあしさんも『月刊IKKI』’11年12月号(10月25日発売)で、7月26日に石巻を訪れたことを漫画にしています。

彼女もまた悩み、考えながら一生懸命描いています。
どうかこちらも合わせて読んでいただければと思います。


2011年5月12日

被災地訪問2日目、私達は、あるご家族にお会いするため、仙台駅から石巻駅に向かうバスに乗り込みました。

きっかけは、読売新聞の記者さんから横見さんへ届いた一通のメール。

全校児童108名のうち、震災で7割が犠牲となってしまった石巻市立大川小学校。
記者さんが大川小を取材されていたところ、亡くなられた大川小2年生の「今野広夢(ひろむ)くん」という男の子を知り、ぜひ横見さんにもこの少年の存在を知って欲しい、とご連絡してくださったのです。

広夢くんは、将来JRの運転士さんを夢見る、筋金入りの「鉄道ファン」だったそう。
日本全国の路線がそらんじられる程で、テレビに一瞬でも鉄道が映ると、その始発駅や終点駅、走行速度など様々なうんちくを披露していたそうで、ご家族からは「広夢先生」と呼ばれていたとか。

弟の莉希(りき)くんと共にアニメ「鉄子の旅」が大好きで、ビデオテープがすり切れるくらい何度も繰り返し観てくれていたらしく、「ぼくも横見さんみたいに全駅制覇するんだ!」と、楽しそうに、横見さんのしぐさや口ぶりを真似したりしていたそうです。

この話を聞いて、初代『鉄子の旅』の作者・菊池直恵さんが、「広夢くんの夢をせめて絵の中で叶えてあげたい」とイラストを描かれました。

1日目に三陸鉄道を訪問させていただいたこともあり、「せっかくならば直接ご家族にお渡ししよう」ということで、2日目は横見さん、カミムラさん、私の3人で、その絵を石巻のご家族の元へお届けすることになったのです。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~②に続く)




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第23旅 被災地へ(後編)~石巻~②

私達が乗ったバスは、お昼過ぎに石巻駅に到着しました。

石巻駅は震災当時、津波でホームが水没するほどの被害があったそうです。

私達が訪れた時は、まだ鉄道は開通していないものの、復旧作業が進んでいたらしく、駅のコンビニも営業していて、代行バスを待つ人で賑わっていました。

しかし、駅の周辺は、店や家の前に瓦礫や土嚢が積まれていたり、壁に冠水した跡が見られたり、津波被害の爪痕がかなり生々しく残っていました。

駅前で待っていると、広夢くんのお母さんの今野奈保子さんと弟の莉希くんが車でいらっしゃいました。

奈保子さんは、想像していたよりもずっと若々しく、とても笑顔の可愛らしい方。
私達が来たことを心から喜んでくださっているようでした。

「ほら、莉希、横見さんだよ~!」
奈保子さんが声をかけると、

「…コンニチハ」
後ろから、照れながらちょこんと顔を出す莉希くん。

ちょっぴり緊張しているのかな?
やはりお兄ちゃんの影響で鉄道が大好きらしく、手にはしっかりとはやぶさのプラレールが握られていました。

私達は、奈保子さんの車に同乗させていただき、今野家のお宅まで向かうことに。

奈保子さんの説明を聞きながら、国道45号線を北へ。

石巻の住宅街や工場があった場所を車で通ります。


…その光景は、宮古で見た被災地とはまた印象が違いました。

被災の範囲がとてつもなく広いのです。

瓦礫の山や、倒壊した建物、悲惨な風景が、どこまでもどこまでも…気が遠くなるほど延々と続きます。

この街が、また元通りになるまで、一体どれぐらいの年月がかかるんだろう。

本当に、復興は…可能なんだろうか。

思ってはいけないことが頭を過ぎり、必死で打ち消そうとします。

でも…

「がんばろう!東北」のスローガンや、僅かな個人の義援金だけでは到底どうにもならない現実。

自分にできることなんて…あるのだろうか。

どうしようもない虚無感と無力感を感じながら、窓から見える景色を茫然と見つめ続けました。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~③へ続く)




第23旅 被災地へ(後編)~石巻~③

国道45号線の道沿いにある道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」で、お父さんの今野伸一さんとも合流し、皆でお昼ご飯。

「昔はサーファーだったんですよ」と奈保子さんの言葉に、

「いやいや、最近はもう全然やってないんですよ~」
はにかみながら話される伸一さん。
誠実で優しそうなお人柄が滲み出てらっしゃいます。

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横見さんと莉希くん。並んで敬礼ポーズ。
ちょっと緊張もほぐれてきたかな…?

道の駅から車で30分、今野さんのお宅に到着しました。

奈保子さん「津波は庭先ギリギリのところまで押し寄せたのですが、家の方はなんとか無事でした。でも、震災から1ヶ月間は電気も水道もガスも使えない状態で、ずっと広夢を探し続けて…本当に大変な日々だったんです。」

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仏間には、広夢くんが遊んでいたプラレールや鉄道グッズがたくさん並んでいました。

「ひろ、憧れの横見さんが来てくれたよ。夢みたいだねぇ」

広夢くんのご遺影に語りかける奈保子さん。
その隣には同じく津波で犠牲になられた奈保子さんのお母様のご遺影も飾られていました。

広夢くんと、奈保子さんのお母様にお線香を上げさせていただいた後、菊池さんのイラストをお渡しました。

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「北斗星」の運転士さんになった広夢くんと車掌さんの莉希くん。
ご両親や、鉄子メンバーの姿も描かれています。

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「いい絵ですね…。広夢が生きていたら、こんな未来があったかもしれないなぁ」
思わず涙ぐまれる伸一さんと奈保子さん。

なるべく明るくいようと、ぐっと我慢していたけれど、どうしても堪えきれずに涙が。

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ご家族の皆さんと一緒に。

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広夢くんと奈保子さんのお母様のご遺影のそばに、絵を飾っていただきました。

奈保子さん「震災からずっと…地獄のような日々でした。でも、今日は本当に励まされました。きっと広夢が引き合わせてくれたんですね。広夢も横見さんに会いたかっただろうなぁ。」

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居間で、ご家族が鉄道旅行に行かれた時の映像を見せていただくことに。

そこには、目をキラキラさせながら列車に乗る広夢くんの姿が。
利発そうな顔で、鉄道の知識を熱っぽく語っています。

奈保子さん「学校の勉強や運動は苦手だったんですよ。でも、鉄道のことになったら、途端に夢中になって…どんな難しい駅名もすぐ覚えちゃうんです。広夢がさらに鉄道にのめり込むきっかけになったのが「鉄子の旅」でした。広夢の才能を開花させてもらって、「鉄子の旅」には本当に感謝しています」

たくさんの広夢くんのエピソードを聞いているうちに、出会うことは叶わなかったけれど、なんだか昔から広夢くんを知っているような…今もすぐ傍にいてくれているような、不思議な気持ちになりました。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~④へ続く)

第23旅 被災地へ(後編)~石巻~④

「皆さんがもしよければ、一緒に大川小へ献花しに行っていただけませんか?広夢も喜ぶと思うんです。」

奈保子さんの言葉に、一瞬ドキリとしました。

何度も何度もニュースで取り上げられた大川小学校。
あの深い悲しみに包まれた場所へ…私達が行ってもいいのだろうか。

ざわつく気持ちを抱えながら、ご両親、莉希くんと共に今野さんの車へ乗り込みます。

冷たい細い雨がしとしとと降る中、泥土の道をゆっくりと進んで行った先に、大川小学校は建っていました。

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小学校の校門跡にはたくさんのお花やお水が献げられています。

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私達もそこで献花をし、手を合わせました。

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校舎内の瓦礫は大方片づけられ、ガランとしています。

静寂に包まれ、時が止まってしまっているように思えました。
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「小学校の周りは、町が栄えていたんですよ。お店や住宅もたくさんあったんです。」

奈保子さんの言葉に愕然としました。

コンクリート製の小学校の校舎と、診療所の建物以外、建物らしい建物は全く見当たりません。
瓦礫と泥土が広がっているだけです。

真っ黒な冷たい巨大な波が、一瞬にして、町を…

本当に何もかも、なくなってしまったんだ…


車のスクラップが集まった瓦礫の山を、奈保子さんが見て、

「あの瓦礫の中に青色の破片があるでしょう。あれは広夢たちが毎日乗っていたスクールバスの一部です」

面影も全くなく、くしゃくしゃに千切れてしまったスクールバス。

震災当時、バスは校舎の前で待機していたにも関わらず、たったひとりの子どもを乗せることなく、津波に飲み込まれてしまったそうです。

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伸一さんが裏山の木を指さされ、

「木のかなり高いところまで赤茶色に変色していますよね。おそらくあの辺りまで津波が押し寄せたんだと思います。」

木の高さは10メートル以上もあるように見えました。

あの日、大川小の裏山には、雪が積もっていました。
地震のすぐ後は地滑りも起こりやすく、倒木の恐れもあったそうです。

実際に見てみたら、想像以上の急斜面で、確かにこの山を生徒に登らせるのは、かなり危険だったかもしれません。

それでも…

それでも、なんとかならなかったんだろうか。
裏山に逃げていたら、バスに乗っていたら、もっともっと多くの命を救えたかもしれない。

亡くなられた方々を責めたくはない。でも…でも…

この地に立ってみて、一層無念な思いが、沸々と湧き上がってきました。

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学校から車で3分くらい離れたところに、泥の水溜まりがありました。
震災以前は、田んぼがあった所だそうです。

広夢くんのご遺体は、震災から約一ヶ月後の4月8日、この場所で見つかりました。

「広夢は、甘えん坊でね、いつもお母さん、お母さんって、甘えてきました。それが本当に可愛くて…。だから、津波に飲まれた時、どんなに怖くて、苦しくて、寂しかっただろうって思うんです。傍にいてあげられたら良かったのに…」

涙を堪えながら、淡々と話す奈保子さん。

何か言葉をかけたかったけれど、何の言葉も見つからず、ただ頷くだけしかできませんでした。

神様は、どうしてこんなに無情なんだろう。
どうしてこんなに罪のない子ども達の命を奪ってしまったのだろう。
子ども達にはたくさんの夢や希望があったはずなのに…

悲しすぎて、やりきれなくて、行き場のない悔しさが込み上げてきました。

どうか、どうか、安らかに…

亡くなられた子ども達と先生方に、ひたすらに、ただひたすらに、心から祈りを捧げました。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~⑤に続く)

第23旅 被災地へ(後編)~石巻~⑤

大川小学校に別れを告げた後、ご家族のご好意で、仙台駅まで車で送っていただけることになりました。

車が走り出すと、アニメ「鉄子の旅」の主題歌が聞こえてきました。
奈保子さんが、DVDをかけてくれたのです。

(※広夢くんの持っていたビデオテープは何度も観過ぎてすり切れてしまっていたので、東映ビデオさんから新しくDVDをプレゼントさせていただいたのでした。)

途端に、莉希くんが顔を輝かせて元気よく歌ってくれます。
かなり難しい曲なのに、完璧に歌う莉希くんにビックリ。

奈保子さん「いつも車の中でも「鉄子の旅」のCDをかけて、広夢と莉希が大声で歌っていたんですよ。他の曲をかけても、すぐ「鉄子の旅」がいい~!って二人でせがむんです。」

アニメが始まると、莉希くんはほとんどのセリフを覚えていて、横見さんの動きや口ぶりをモノマネしてくれます。

莉希くんが笑うと、みんなも笑う。
ずしりと重く胸に閊えていた物が、少しだけ軽くなったような気がしました。

窓の外を見れば、雨の降りしきる中、やはり瓦礫の世界が広がっています。
けれど車の中は、あたたかく優しい空気に包まれていました。

ほんの少しでも「鉄子の旅」が今野家の皆さんの心を明るくしてくれますように…

笑顔を届けられますように…

そう願わずにはいられませんでした。

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車は仙台駅へ到着し、ご家族も駅構内まで私達を見送りに来ていただけることに。

ふと見ると、横見さんと莉希くんが手をつないで歩いていました。
莉希くんが嬉しそうにはしゃいでいます。

「オレは憧れられるような器じゃないからさ…」
そう言いながらも、この日一日、ちゃんと今野家のヒーローだった横見さん。
横見さん、ちょっと見直しました。本当にお疲れ様でした!

(※でも、横見さんに珍しく臨時ダイヤになっていることをうっかり忘れて、東京行きの最終電車を逃してしまい、結局3人が仙台にもう一泊するという、なんとも「鉄子の旅」らしいオチがついてしまいましたが…) 

(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~⑥へ続く)

第23旅 被災地へ(後編)~石巻~⑥

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莉希くんが、3人の為に描いてくれた絵てがみ。
まだ5歳なのに、しっかりスイッチバックの絵まで!
彼の夢は、はやぶさの運転士さんになることだそうです。
広夢くんに負けず劣らず、鉄道の才能があるかもしれないなぁ。
莉希くん、ステキな絵てがみ、ありがとうね。


今回の訪問で、自分の被災地への向き合い方が大きく変わりました。
実際に行ってみて、分かったことが本当に沢山ありました。

あの日見た被災地の風景、今野家の皆さんと出会ったこと、私は生涯忘れません。

奈保子さん「地震や津波の怖さを他人事と捉えないでほしい。二度と同じような被害を繰り返さないでほしい。私達被災者の願いや気持ちを、ひとりでも多くの人に感じ取っていただければと思うんです。」

時間はかかってしまいましたが、今野さん達のこと…ようやく、ようやく書くことができました。

あの時、東京の街は暗く、テレビを点ければ常に震災のニュースが流れていました。
そして、皆、口を開けば震災のことを話題にしていました。

今では街はすっかり明るくなり、まるで震災前の東京に戻ったかのようです。
自分から意識的にならなければ、被災地の情報もほとんど入ってこなくなりました。

でも、この状況に慣れてはいけない。鈍感になってはいけない。
まだ全然終わっていないのです。

復興への長い道のりはまだ始まったばかり。
今から出来ること、今だから出来ることもたくさんあるはずです。

目を閉じれば、今もあの雨に煙る大川小学校の光景が浮かびます。

生きられなかった広夢くんたちのこと…決して忘れないよう胸に刻んで、

これからもずっと、ずっと、被災地へ思いを寄せ続けていこうと思っています。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~ 完)
※次回は11/25ごろ更新予定です。



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