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第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~②

2011年5月11日 午前8時半頃 薄曇りの東京駅。

tohokushinkansen.jpg

横見さん、カミムラさん、私の3人は、東北新幹線「はやぶさ」の車内にて、いすみ鉄道社長の鳥塚亮さんご一行と合流。

実は、今回の被災地訪問は、前回の21旅で、いすみ鉄道を取材させてもらったことがきっかけでした。

被災地支援の為に『新・鉄子の旅』で出来ることはないだろうかと模索していた私達に、

「何も出来ないと思い悩むよりは、実際に行ってみた方がいい。この目で見てみなければ分からないことが沢山あります。GW明けに三陸鉄道へ義援金を届けに行こうと思うのですが、ご一緒に行きませんか?」

と鳥塚さんがお声をかけてくださったのです。

それまでも被災地に行きたいという思いはあっても、いざその現状を目の前にした時、受け止めきれるか不安で、なかなか実行に移すことができませんでした。

鳥塚さんのお言葉に、勇気のなかった自分の背中を押してもらえたような気がしました。


「はやぶさ」は、震災ダイヤで通常よりもゆっくりと進み、盛岡駅に着いたのは12時頃。

盛岡駅は、震災の影響はあまり感じられず、当時、節電一色だった東京よりも明るく、活気があるように見えました。

駅前でレンタカーを借りて宮古市へ向かうことに。
JR山田線を横に見ながら国道106号線を東へ。

kuzakai.jpg

横見さんの希望で、途中JR山田線の「区界駅」に寄ったりしつつ…(東北地方で一番標高の高い駅なんだそう)車で進むこと2時間弱。

のどかな山の農村風景から街の風景に変わり、宮古駅が見えてきました。

宮古駅周辺は一見したところ、ほとんど津波の被害は見えません。
街は機能し、日常の生活が営まれている様子。
お店なども普通に営業しているようです。
テレビの映像で津波に飲まれる宮古港を何度も見ていたので、正直意外でした。

しかし、そこから海の方へ向かっていくと、すぐに街の景色が一変しました。


(第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~③へ続く)
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