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第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~③

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あちこちの建物に書かれていた「解体OK」や「解体可」の赤文字。
港に近づくにつれ、どんどん増えていきます。

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根本から倒れてしまったガソリンスタンドの看板。

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その約2ヶ月半後、ほあしさん達が訪れた時も、このガソリンスタンドは解体されず、そのまま残っていたそうです。(7月25日/ほあしさん撮影)

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漁港そばの宮古市鍬ヶ崎。震災前はおそらく港町だったところ。
もはや建物の原型すら留めていない瓦礫の山、山、山…。

先ほどまでの街の風景がまるで嘘のよう。
ほんのちょっとの差でこれほど違うなんて…。

車から降りて、瓦礫の中を歩いてみました。
粉塵が舞っていて、マスクをしていても息が苦しく、咳き込んでしまいます。

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誰かがきっと大切にしていたはずの、家族の写真…。

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陸地に打ち上げられた大きな船。この辺りにもともとはスーパーがあったようです。

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宮古旧魚市場。
がらんとした魚市場に饐えたような何とも言えない異臭が漂っていました。

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そのにおいにつられてか、カラスがたくさん集まっていました。

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今は、鍬ヶ崎は瓦礫撤去が進み、建物の基礎だけが残っている状態だそう。
しかし、まだ人が住めるような状況にはほとんどなっていないようです。
(7月25日/ほあしさん撮影)

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宮古駅からすぐのJR山田線の線路。

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レールが大きく湾曲し、枕木ごと線路が地面からはがれていました。

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閉伊川にかかる山田線の鉄橋も半分以上が流され、その一部が川岸に乗り上げていました。
この鉄橋は現在宮古駅の構内に移動されているそうです)

…宮古の被災地を訪れて、覚悟はしていたにも関わらず、あまりの惨状に言葉が出ませんでした。
映像や写真、文字でその悲惨さを知ったつもりになっていましたが、実際に目の当たりにした時、やはりそれは想像以上の衝撃でした。

あっという間に港町を奪い去ってしまった津波の恐ろしさ…
鉄の塊を頑丈なコンクリートからもぎ取ってしまうその破壊力…

目の前にあるのは現実。だけど、とても信じられない。
ただただ、茫然と立ち竦むしかありませんでした。


(第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~④へ続く)
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