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第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~④

心に重たいものを感じながら、宮古駅にある三陸鉄道の本社へ。

三陸鉄道は、東日本大震災により多大な被害を受けたにも関わらず、震災からわずか5日後の3月16日から(しかも3月中は無料で!)北リアス線の「久慈」~「陸中野田」間で、震災復興列車を走らせました。

ガソリンがなく移動手段に困っていた地元の人々にも喜ばれ「復興のシンボル」として、大きくメディアにも取り上げられました。

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 「IKKI」'11年月号『新・鉄子の旅』P.84より。(c)ほあしかのこ/小学館IKKI


その後、北リアス線の「宮古」~「小本」間も復旧していますが、南リアス線全線と北リアス線の「陸中野田」~「小本」間は今も不通のままです。

全線復旧には110億円もかかってしまうそうです。

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本社にて、いすみ鉄道社長の鳥塚さん(上写真・左)から、三陸鉄道社長、望月正彦さんへ義援金が手渡されました。

望月さん「元々三陸鉄道は、リアス式の沿岸部を走るので、津波対策用にほとんどの線路が高台やトンネルの中に敷かれています。確かに津波や地震の被害は甚大でしたが、JRなどの他の沿岸部の路線と比べると、これでもまだ被害は小さい方なんですよ。どこをどう直せばいいか、大体の目途は立っています。あとはお金の問題だけ…。いすみ鉄道さんのように、各方面の方々が三陸鉄道を応援してくださって、本当にありがたい限りです」

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宮古駅のホームには鉢植えの花が綺麗に飾られていて、乗る人たちを出迎えてくれます。
ここだけ見ると、震災前と変わらない風景のように見えます。

望月さん「宮古駅は辛うじて津波の被害は免れました。でもすぐ近く(駅から数10メートル先)のガソリンスタンドまで波が押し寄せてきて、車が4台折り重なるようにして…それは恐ろしかったですよ」

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私達が訪れた時、ちょうどホームに小本行きのディーゼル車両が停まっていました。

望月さん「震災直後も、宮古駅にこの車両が待機していたんです。駅の電気は、全て停電してしまったので、この車両を急遽”災害対策本部”にして、いろいろな指示を出していました。電気も暖房も使えたので、本当に助かりました。夜は臨時の宿泊所にもなって、私達も1週間ここに泊まり込んだんですよ。寝る場所に困って駅に集まってきた人たちをここに呼び、寝かせてあげたりもしてね、新聞紙が布団代わりでした。」

車両を走らせるための軽油の補給はどうされたんですか?と聞くと

望月さん「…ここだけの話だけど、緊急事態ということで、軽油の発売元から直接タンクで持ち込んでもらいました。危険なので、本当は消防署の許可が必要なんですけどね。あ、もちろん、後で許可は取りましたよ!」

カラリと笑う望月さん。

宮古駅を訪れる前に被災地を見たせいか、正直、もっと悲壮感が漂っている感じを想像してしまっていたのですが、三陸鉄道の職員の皆さんはずっと前向きで明るく、むしろこちらが元気づけられるくらいでした。

望月さん「三陸鉄道は地元の人達の足として、特に車に乗れない学生さんや高齢者の方々にとって、本当になくてはならない存在です。実際に、三陸鉄道が走るようになってから高校進学率も上がったんですよ。三陸鉄道を必要としてくださっている人たちのためにも、3年以内に全線復旧を実現させます…!」

望月さんの言葉は力強く、揺るぎない視線で前を向いてらっしゃいました。


(第22旅 被災地へ(前編)~宮古・三陸鉄道~⑤へ続く)
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