スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第23旅 被災地へ(後編)~石巻~④

「皆さんがもしよければ、一緒に大川小へ献花しに行っていただけませんか?広夢も喜ぶと思うんです。」

奈保子さんの言葉に、一瞬ドキリとしました。

何度も何度もニュースで取り上げられた大川小学校。
あの深い悲しみに包まれた場所へ…私達が行ってもいいのだろうか。

ざわつく気持ちを抱えながら、ご両親、莉希くんと共に今野さんの車へ乗り込みます。

冷たい細い雨がしとしとと降る中、泥土の道をゆっくりと進んで行った先に、大川小学校は建っていました。

ookawa6.jpg

小学校の校門跡にはたくさんのお花やお水が献げられています。

ookawa5.jpg

私達もそこで献花をし、手を合わせました。

ookawa1.jpg

校舎内の瓦礫は大方片づけられ、ガランとしています。

静寂に包まれ、時が止まってしまっているように思えました。
ookawa7.jpg

「小学校の周りは、町が栄えていたんですよ。お店や住宅もたくさんあったんです。」

奈保子さんの言葉に愕然としました。

コンクリート製の小学校の校舎と、診療所の建物以外、建物らしい建物は全く見当たりません。
瓦礫と泥土が広がっているだけです。

真っ黒な冷たい巨大な波が、一瞬にして、町を…

本当に何もかも、なくなってしまったんだ…


車のスクラップが集まった瓦礫の山を、奈保子さんが見て、

「あの瓦礫の中に青色の破片があるでしょう。あれは広夢たちが毎日乗っていたスクールバスの一部です」

面影も全くなく、くしゃくしゃに千切れてしまったスクールバス。

震災当時、バスは校舎の前で待機していたにも関わらず、たったひとりの子どもを乗せることなく、津波に飲み込まれてしまったそうです。

ookawa2.jpg

伸一さんが裏山の木を指さされ、

「木のかなり高いところまで赤茶色に変色していますよね。おそらくあの辺りまで津波が押し寄せたんだと思います。」

木の高さは10メートル以上もあるように見えました。

あの日、大川小の裏山には、雪が積もっていました。
地震のすぐ後は地滑りも起こりやすく、倒木の恐れもあったそうです。

実際に見てみたら、想像以上の急斜面で、確かにこの山を生徒に登らせるのは、かなり危険だったかもしれません。

それでも…

それでも、なんとかならなかったんだろうか。
裏山に逃げていたら、バスに乗っていたら、もっともっと多くの命を救えたかもしれない。

亡くなられた方々を責めたくはない。でも…でも…

この地に立ってみて、一層無念な思いが、沸々と湧き上がってきました。

ookawa3.jpg

学校から車で3分くらい離れたところに、泥の水溜まりがありました。
震災以前は、田んぼがあった所だそうです。

広夢くんのご遺体は、震災から約一ヶ月後の4月8日、この場所で見つかりました。

「広夢は、甘えん坊でね、いつもお母さん、お母さんって、甘えてきました。それが本当に可愛くて…。だから、津波に飲まれた時、どんなに怖くて、苦しくて、寂しかっただろうって思うんです。傍にいてあげられたら良かったのに…」

涙を堪えながら、淡々と話す奈保子さん。

何か言葉をかけたかったけれど、何の言葉も見つからず、ただ頷くだけしかできませんでした。

神様は、どうしてこんなに無情なんだろう。
どうしてこんなに罪のない子ども達の命を奪ってしまったのだろう。
子ども達にはたくさんの夢や希望があったはずなのに…

悲しすぎて、やりきれなくて、行き場のない悔しさが込み上げてきました。

どうか、どうか、安らかに…

亡くなられた子ども達と先生方に、ひたすらに、ただひたすらに、心から祈りを捧げました。


(第23旅 被災地へ(後編)~石巻~⑤に続く)

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。